⑫ 柳田家の門
柳田国男(民俗学の父と呼ばれている)が養子に入った飯田藩士柳田家は、江戸藩邸で堀侯に仕えていましたが、1859年8代目の東助為善の時い飯田へ帰され、新建(現在の江戸町)の藩士宅で暮らしていました。画像はその家の表門です。質素な腕木門で引き分けの板戸になります。
柳田国男自身は飯田に暮らしたことはありませんが、7,8回訪れ、郷土の歴史家市村威人らと交流を持っていたそうです。
柳田国男(民俗学の父と呼ばれている)が養子に入った飯田藩士柳田家は、江戸藩邸で堀侯に仕えていましたが、1859年8代目の東助為善の時い飯田へ帰され、新建(現在の江戸町)の藩士宅で暮らしていました。画像はその家の表門です。質素な腕木門で引き分けの板戸になります。
柳田国男自身は飯田に暮らしたことはありませんが、7,8回訪れ、郷土の歴史家市村威人らと交流を持っていたそうです。