その他の歴史について
昭和22年の飯田の大火では、その半分がその焼失を免れており「春草通り」以外にも歴史がいっぱい!一度にはお伝えできず、徐々に詳細をアップしていきたいと思います。橋北地区の歴史や魅力をここではチラッとご覧頂き、実際には直接足を運んで頂けたら嬉しく思います。
「橋北屋台囃子保存会」
飯田下伊那で最大のお祭りは、大宮諏訪神社の式年大祭で7年に1度(寅・申年)行われます。歴史は古く、およそ350年の歴史のある祭りは、旗屋台・囃子屋台・山車がお囃子や踊りで豪華な行列が町中を練り歩き、江戸・明治時代は各町内がこぞって豪華な山車を競い合い祭りを盛り上げました。
しかし、町内に架線された電線のため、1902年の祭りから山車の曳きまわしができなくなり、山車は各町内に飾るだけとなりお祭りも変化して、大名行列や東野の大獅子が中心になっていきました。そして、1947年の飯田の大火によって貴重な山車をはじめ、全てが焼失してしまい、豪華絢爛な祭りは終息し、現在の獅子舞を中心としたお祭りになりました。
そんな中、是非昔のお祭りを復活して地区の結束と伝統文化を継承したいとプロジェクトチームを立ち上げました。まずは昔から伝わるお囃子を復活させ、新囃子を吟遊打人 塩原良さんに作っていただいた後、2016年のお練りまつりに参加することができ、橋北全地区を廻り各地で大歓迎をうけました。また2022年のお練りまつりにも参加し、2期連続での参加を果たし好評を得ることができました。
これからの目標は、まず囃子屋台を作ること。そして、将来の目標は更に大きく、山車を作り飯田市民は山車を曳きまわし、子どもから大人までが一つになって楽しい思い出が残るお祭りを目指します。
橋北屋台囃子では、現在古いお囃子を復活させながら、また新しいお囃子も取り入れ塩原良先生の指導の下、篠笛・長洞太鼓、締メ太鼓の練習をしています。
随時入会も受け付けています。
連絡先 橋北公民館 0265-24-0310までお問合せください。
(音が出ますので音量にはご注意下さい!)
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「さくら情報」
橋北地区は1本桜の宝庫です。現存する寺院などと一緒に散策してみるのも楽しみの1つですね。
橋北地区を歩いて回ってみよう!
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「浜井場小学校」
明治41年に飯田尋常小学校浜井場部として授業を開始し、昭和22年に学制改革により飯田市浜井場小学校となる。昭和30年に現在の円筒校舎の落成式を行うものの、内山煙火工場爆発事故、三六災害など幾多の苦難を乗り越え現在に至る。平成13年に浜井場児童クラブを校内一角に開所。平成20年には開校100周年記念式典が開催された。令和3年度は132名が元気に通う。
設計者 坂本鹿名夫
施工会社 木下建設株式会社
工期 着工 昭和30年2月25日
完成 昭和30年9月15日
竣工 昭和30年9月20日
工費 37,560,000円(当時)
構造 鉄筋コンクリート造り3階建(一部4階建)
延床面積 225,414㎡(68,120坪)
浜井場小学校 校歌
(明治40年7月制定)
作詞 浅井 洌
作曲 福井直秋
一
長姫城の名に残る
昔の後は変われども
今ぞ栄ゆる学舎の
庭の教えも 年毎に
進みゆくこそ うれしけれ
二
雲井に仰ぐ 風越の
山よりおろす 朝風に
神さび立てる 今宮の
御園のちりを吹きはらい
返す袖こそ 涼しけれ
三
しばし木の葉の下くぐる
谷川水の せせらぎも
やがて瀬となり 淵となり
天の中川 中絶えず
大海原にたたゆなり
※姉妹校である追手町小学校と同じ校歌を歌っているが、3番の「しばし木の葉」の部分のリズムや伴奏に違いがある。歌うことが大好きな子どもたちは、行事では美しい声で合唱し、運動会では校歌ダンス演じている。
なお、作詞は「信濃の国」を作詞した浅井 洌(きよし)
「橋北音頭」
昭和29年(1954年)に、橋北地区のイメージアップをはかり、商工会と連合自治会で橋北音頭を製作したが、段々に忘れ去られていってしまった。
昭和50年に復活を試みるも唄える人がいなくて断念。昭和56年には、一度復活するも定着しなかった。そして、又忘れ去られていった・・・。
年号は変わり、平成20年に橋北音頭の存在を知った「橋北面白倶楽部」の面々が、復活を試みて披露目に「橋北夏祭り」を企画し披露した。唄はもちろん、踊り方まで収録されたDVDを長野県地域発元気づくり支援金を活用して製作し、後世に残るよう、また忘れ去られることのないようつとめた。
橋北音頭は1~15番までありますが、下記youtubeは1~2番までの短編編集となります。
(音が出ますので音量にはご注意下さい!)
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「旧飯田測候所」
旧飯田測候所は1922(大正11)年に完成して、79年間にわたって長野県飯田市の気候観測が行われていた歴史ある建物です。平成24年に国の登録有形文化財。
下伊那はかつて全国有数の養蚕地でした。農業、特に養蚕と気象との間に密接な関係があるとして、明治28年(1895)頃から地方測候所の設立を要望しており、明治30年8月に上飯田村東野(現飯田市東野)に県営として発足しました。大正8年(1919)に伊那電気鉄道の線路が接したことにより、地震観測ができなくなったため、この地に移転しました。大正11年(1922)12月に竣工、翌年1月1日より観測が開始され、昭和22年(1947)に発生した飯田大火の延焼を免(まぬが)れています。平成14年5月に市内高羽町へ移転するまで観測が行われ、上下伊那郡及び諏訪郡の観測が飯田測候所に集められ、地域の気象通報が行われました。
敷地内にはソメイヨシノの大木があり、飯田下伊那地方の桜の開花宣言の基準木となっていました。平成18年に測候所が無人化されると、開花宣言は廃止となっています。
平成25・26年に耐震改修工事が実施されました。
市民活動や環境活動の場として、平成26年(2014)5月に新たにオープンしました。
なお、この旧飯田測候所横には、大正11(1922)年に建てられた飯田下伊那で「最初の」鉄筋コンクリート造りの倉庫(建物)が見られます。
また、平成22(2010)年に飯田市有形文化財に指定された、旧飯田藩馬場調練場の門(通称 脇坂門)もこの場所に移設されており見る事が可能です。
さらに、旧飯田測候所に併設され東栄公園があり、芝生も整備され非常に過ごしやすい空間となっております。お子様連れにもオススメの場所です。
■施設見学
館内の地震計室、資料室では測候所の資料を常設展示しています。
開館時間中はご自由に見学頂けます。見学無料です。
開館時間:8時30分~17時00分
休館日:毎週月曜日、年末年始
■施設貸出
気象観測室と工作室、露場(芝生の広場)の貸し出しを行っています。
グループ活動やイベント、学習の場としてお気軽にご利用ください。
※現在、気象観測は行っておりません。
飯田市旧飯田測候所
〒395-0027 長野県飯田市馬場町3丁目411番地
TEL 0265-24-1330
FAX 0265-56-3712